次男君の旅でも書きましたが
次男君、小さい頃は全く目を見てくれないわけじゃなくちゃんとこちらを見ていたので
目が合わないってことをそこまで気にしていませんでした。
視線が合わないぞ
幼稚園年少さんの時に「これはおかしいぞ」って初めて気がついたときの話です。
幼稚園に入ってから次男君はトラブル続きで、とうとうお友達に手を出してしまう事件を
起こしてしまいました。
詳細は忘れちゃったけど、次男がお友達に「やめて」って言えば済むのに
何も言わずにいきなり手を出してしまった為にトラブルになったと記憶しています。
その時に違和感を覚えつつもまだ次男が発達障害だと思っていなかった私は
・自分の気持ちを表現するのが苦手で起こった状況を話すのも苦手
・目が合わない
といった特性に気がつかず
「どうして口で言わずにすぐにお友達を叩いたのか、叩かずにお話をしよう」
「お母さんの目を見て話を聞きなさい」
と言って次男と話し合いを続けていました。
でもなんだか反応が悪いというか糠に釘みたいな感じって言うのか
話してても分ってるのか分ってないのかも分らない状態っていうのか・・・
その時ふと次男を見ていて
「お母さんの目を見て話し合おう」→私の目を見る
↓
見ているのに視線が合わない→次男をよく見てみる
↓
私の目に映った自分を見ている、もしくは私を通り越して後ろを見てる感じ
↓
本人はそれを目を見ていると思っている
って事に気がついたんです。
いつの間にか私は目の見方を教えることに一所懸命になって
でも次男は全然出来なくて、
「なんでそんな簡単なことができないのよー!普通は教えなくてもできるやろー!!」
って相当イライラしちゃって
トラブルについての話し合いはどこかに行ってしまってたのを覚えています
今考えたら”目が合わない”とか仕方ないことで
出来ないことを無理矢理やらせて申し訳なかったし、
発達凸凹の特性を知っていれば次男をあんなに怒ることもなかったなと
反省しかありません。
無知って恐ろしいですね。
目(視線)が合わない事って
発達障害、自閉症かどうかを発見する一つの指標としては大事なことかもしれないけど
もう今(中学生)となっては生きていく上で”目が合わない”とかって
そんなに重要ではないような気がします
代わりに
・人の話を聞くときは目を見なくてもいいからその人の方向を向いて顔を見ておく
・聞いている(聞いている風に見せる)態度っていうものがどういう事かを覚える
等のソーシャルスキルを教えた方がよっぽど本人のためになると思います
これはamyの感想だし体験から学んだことなので皆さんに当てはまるかどうかは分りませんが
発達障害と一生付き合っていく本人にとっては出来ないことを出来るように「矯正」するんじゃなくて
少しでも生き安くなる方を選んだ方がいいのでは・・・
なんて思います。
読んでくださりありがとうございました
今日も感謝です!
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